大森一樹の妻や家族構成は?ゴジラシリーズ制作秘話はある?についてお伝えしていきます。
ゴジラシリーズの映画監督としても有名な大森一樹さんが、2022年11月12日、急性骨髄性白血病でお亡くなりになりました。
大森一樹さんは、新たなゴジラシリーズを生み出した立役者としても知られています。
ゴジラシリーズの制作秘話や、大森一樹さんの家族構成や経歴など詳しくご紹介します。
今回は、
・大森一樹のプロフィール(経歴)
・大森一樹のゴジラシリーズ制作秘話はある?
・大森一樹の妻や家族構成は?
・大森一樹について口コミと評判は?
・まとめ
大森一樹のプロフィール(経歴)
大森一樹さんは、1952年3月3日生まれです。
大阪府大阪市出身で、ご実家はお医者さんだったそう。
兵庫県芦屋市立精道中学校、六甲高等学校を卒業後、京都府立医科大学医学部に入学し、卒業しています。
幼い頃から漫画少年で、手塚治虫さんや真崎守さんに大きな影響を受けたそうです。
高校生の頃から映画監督を志し、自主映画を制作していました。
大学在学中の1973年から、現在漫画評論家として活躍している村上知彦さんと自主映画グループ「グループ無国籍」を結成。
新開地の映画館において邦画のオールナイト上映企画を行うなど、活動を行っていました。
1975年に制作された「暗くなるまで待てない!」は、自主映画ながらキネマ旬報ベスト10において21位にランクインするなど、高い評価を受けました。
1978年には「オレンジロード急行」で商業映画デビューを果たします。
助監督の経験がないままいきなりの監督デビューだったため、大きな話題となりました。
1980年に公開された「ヒポクラテスたち」では、自身の経験をもとにした大学病院が舞台となる作品を制作。
この作品で、数々の映画賞を受賞しました。
その後中学校の先輩である村上春樹さん原作の映画化作品「風の歌を聴け」を監督。
1982年に映画監督の長谷川和彦さん、相米慎二さんらとともに制作会社「ディレクターズ・カンパニー」を設立します。
1984年から吉川晃司さんの映画デビュー作となる「すかんぴんウォーク」を皮切りに、続編となる「ユー・ガッタ・チャンス」「テイク・イット・イージー」を立て続けに公開しました。
すると周囲からの評価を受けるようになり、斉藤由貴さん主演の「恋する女たち」で文化省優秀映画賞を受賞。
日本アカデミー賞優秀脚本賞、優秀監督賞も受賞しています。
その後初の社外監督としてゴジラシリーズに携わることになります。
「ゴジラVSビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」で監督を務め、平成ゴジラVSシリーズの方向性を決めた作品だと大きな影響を与えました。
2000年からは後進の育成にも力を入れるようになります。
2005年まで大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科で教授を務めています。
2005年4月からは大阪芸術大学芸術学部映像学科、同大学院教授を務め、2006年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長も務めていました。
映画「舟を編む」の監督である石井裕也さんなど、多くの映画監督を輩出しています。
ですが、2021年秋頃から体調不良により入退院を繰り返すようになります。
2022年7月までは大阪芸術大学にて授業を行っていましたが、夏以降は治療に専念していたそうです。
兵庫県西宮市の病院において、11月12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため70歳で帰らぬ人となりました。
大森一樹のゴジラシリーズ制作秘話はある?
大森一樹さんの代表作といえばゴジラシリーズですが、数多くの制作秘話が語られています。
初めてゴジラシリーズの監督を務めた「ゴジラVSビオランテ」はやる気満々で臨みましたが、2作目の「ゴジラVSキングギドラ」は苦し紛れの開き直りで作られたそう。
ゴジラの誕生秘話が描かれていたり、タイムトラベルでゴジラ誕生の歴史を変えようとするなど、これまでのゴジラシリーズにはなかったストーリー展開が高い評価を受けています。
大森一樹さん自身も「怪獣もの、空想科学もの、戦記ものなど東宝特撮映画の集大成」と自負されていたそうです。
ゴジラシリーズの撮影においては、監督と特撮監督と監督が2人存在していることにも驚いたそう。
立場も対等であったことに驚きながらも、特撮班とは対立することもなくアイディアを出しあって強調して撮影が行われていたようです。
監督でありながら、主役のゴジラやクライマックスシーンが撮影できないのは致命的だと考え、特撮のシーンにもしっかりと目を通していたとか。
それらのことが積み重なり、平成ゴジラVSシリーズの方向性を決定づけた作品が誕生しました。
大森一樹の妻や家族構成は?
大森一樹さんの家族について調べてみましたが、全くと言っていいほど情報が出てきませんでした。
お亡くなりになったというニュースの中に「喪主は妻である聖子さんが務めた」と記載がありましたので、結婚はされていたようです。
大森一樹さんのご実家がお医者さんということ以外、プライベートな情報は出ていませんでした。
子供がいたのかどうかもわかっていませんが、葬儀は近親者のみで行われたそうなので、奥様やお子さん、ご親戚の方々で静かにお見送りができたのではないかと思います。
大森一樹について口コミと評判は?
大森一樹さんの訃報に際し、ネットでは感謝の言葉や冥福を祈る言葉が溢れています。
黙って抱きしめて
痛いほどに…大森一樹監督
素敵な作品の数かずと
やさしい笑顔を
ありがとうございました pic.twitter.com/ObjpRdvw8o— きいろのペンコ (←コは子じゃないw) (@banana_penco) November 16, 2022
RIP
大森一樹監督
民川裕司3部作大好きです#大森一樹#吉川晃司#すかんぴんウオーク#ユーガッタチャンス#テイクイットイージー pic.twitter.com/dSiU484rDa— kei kunihiro (@kunihiro_kei) November 16, 2022
#大森一樹 監督、『オレンジロード急行』を見たときはようやく自分の世代の映画が始まると嬉しかったもんだ。ありがとう
— 偽仁志 (@fuyokojo) November 16, 2022
#大森一樹
ゴジラ作品を手掛けた
大森一樹さんがご逝去されました。
(享年70歳)
ゴジラの世界観にいつも素晴らしく
感動して夢中になっていました。
僕にとって大森一樹さんの作品は、
いつまでも宝物になります。
本当にありがとうございました。
謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/TOOdMHwPzy— 萩原グレイトマキシマムフルブラスト (@wlJUOfMIheai5yz) November 16, 2022
1980年代、映研出身、村上春樹、吉川晃司、斉藤由貴、ゴジラ…歳は上だけど感覚的には同時代を歩む監督という感じで好きでした。大森一樹監督。合掌。
— ボタQ (@bota9) November 16, 2022
まだまだ大森一樹さんが監督する作品が見たかったという声も数多くありました。
数々の素晴らしい作品を遺してくれたため、大森一樹さんの早すぎる死を悔やむ声で溢れています。
まとめ
映画監督大森一樹さんの経歴や家族構成、ゴジラシリーズの秘話などについて詳しくご紹介しました。
大森一樹さんは、平成のゴジラシリーズの方向性を決めた監督として大きな称賛を受けています。
数々の名作を遺しこの世を去った大森一樹さん。
心からご冥福をお祈りいたします。